資産三分法・財産三分法とは
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資産三分法・財産三分法…などという利殖法がある。
財神・お金儲けの神様と呼ばれた直木賞作家の故・邱永漢さんが、経済誌や利殖誌で紹介されていた方法で、資産や財産は3つにわけて、
- 3分の1は現金で所有、
- 3分の1は不動産で所有、
- 3分の1は株などの有価証券で所有
邱先生によるとこれは、東大に安田講堂を寄付した安田財閥(現・芙蓉グループ)の創立者・安田善次郎氏が提唱していた方法なんだという。
安田善次郎というのは、富山県の足軽の息子で、江戸時代末期に江戸で両替商に奉公して仕事を覚えた。
明治維新後には、銀行や損保・生保などを立ち上げ、北海道の釧路の硫黄鉱山開発を行い、アメリカに硫黄を輸出して財をなしたという。
本人は金融業をライフワークと考えていたようだが、様々な事業に投資を行い、多くの事業が成功したため、安田財閥と言われるまでの企業集団ができた。
また匿名で安田講堂や日比谷公会堂を寄付したり、学校や公演などの公共施設を作ったりして後世に名を残している。
ジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコは、安田善次郎の曾孫にあたるそうだが、最後は暗殺されて生涯を終えた。
こんな明治の偉人の提唱した利殖法なので、邱先生も不動産と株式投資に、同じ額の資金を投じてみたらしい。
そしたら株式投資は上がったり下がったりでマチマチだったが、不動産投資だけは大きく儲かったのだという。
そのため行動経済成長期は、借金してでも土地を買えと、マンションに投資して利殖しろということを、雑誌で良く書いていた。
不動産投資は、いつの時代も有力というわけではない
お金儲けの神様と呼ばれた直木賞作家の故・邱永漢さんは、安田善次郎氏の資産三分法を参考に、不動産と株式投資に1,000万円ずつ投資し、どうなるかを試してみたそうだ。
当時はまだ高度経済成長のまっただ中で、毎年5%前後のインフレが続いていたころだ。
そうすると現金はもちろんインフレで目減りしており、株価も上がったり下がったりで、さほど増えなかったが、土地の値段だけはぐんぐん上がったという。
これは日本がまだ貿易でガンガン稼いでいた頃の話で、輸出企業が外国で儲けたお金を日本円に替えて、それを従業員の給料やボーナスとして支払ったため、金余りが起こり土地や不動産に集中したせいだという。
当時はまだ日本の人口もまだ増加傾向にあり、地方から都会に出てくる人のための住宅も不足していた。
そのために都市周辺の農地を住宅地に替えたがそれでも足りず、都市周辺の山地を切り開いて住宅地にし始めた頃だったのだ。
なのでチューイングガム工場を経営していた親戚が事業に失敗したのに、それが土地の値上がり分で、チャラになったなんてことが起こったとかいう話も載っていた。
ところが90年代前半に土地バブルが崩壊して、土地神話が崩れた結果、地価が10分の1くらいまで縮小した。
不動産の価値が、年々下がると言うことが起こった。
そのため邱先生は、財産三分法について、高度経済成長期には、不動産投資が有力だったが、人口減の国では有力な投資法ではなくなったと書かれていた。
ただし資産や財産を三つに分けて考えるということ自体は非常に有効なことで、現金、流動性資産(株や金)、固定資産(土地や不動産)の三つの資産をうまく持つことが重要だというのは確かだろう。